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歴史フカボリ散歩|木曽町日義「七尋石」に残る大蛇伝説
いよいよシルバーウィークですね。
人気の観光スポットで目いっぱい楽しむのももちろんいいですが、いつも何気なく訪れている場所を、ちょっと違った視点から「フカボリ」してみるのも乙なものです。
今回は、木曽町日義に残るちょっと不思議な伝説を訪ねてみます。

木曽駒森林公園の近くにある「七尋石」
木曽町日義の木曽駒高原にある「木曽駒森林公園」。
オートキャンプ場も併設された自然豊かなレジャースポットで、地元でも学校の体験活動や家族でのお出かけなどで親しまれている場所です。
そんな木曽駒森林公園からほど近いところに、今回の「フカボリ」スポットがあります。

その名も、「七尋石(ななひろいし)」。
木曽駒森林公園から木曽文化ホール方面へ行く道のわきに、どっしりと横たわる巨大な岩です。
写真だけでは、その大きさや迫力が少し伝わりにくいかもしれません。
一見すると「大きな岩」ですが、実はこの場所には、なんとも不思議な伝説が残されています。
大蛇になった女性?「七尋石」の伝説
昔、隣村から原野村へ「お濃」という娘が嫁いできました。
お濃は器量よしで心も優しく、働き者。評判のよいお嫁さんだったといいます。
ところがある晩、夫が寝室で目にしたのは、いつもの優しいお濃ではなく、大蛇の姿に変わった妻でした。
恐ろしくなった夫の家族は、お濃を実家へ帰します。
しかし実家の両親も、眠った娘が大蛇の姿になるのを目撃。とうとうお濃は実家からも追われてしまいます。
行くあてもなく野山をさまよったお濃が、やがてたどり着いたのが一つの大きな岩でした。
疲れ果てたお濃は岩の上に横たわり、悲しみの涙を流します。
そして座り直すと、いつも持ち歩いていた麻桶(おんけ)を傍らに置き、麻糸を紡ぎ始めたと伝えられています。
その岩には、大蛇の鱗の跡や、麻桶を置いたという窪みが今も残っているといわれています。
岩の大きさがおよそ七尋(約12.6m)もあることから、「七尋石」と呼ばれるようになったそうです。

不思議な昔話として聞くだけでも面白いのですが、ここからもう一歩、この伝説を「フカボリ」してみましょう。
実は江戸時代に書かれた木曽に関する文献にも、現在の日義周辺に伝わる女性と蛇にまつわる不思議な物語が登場します。

江戸時代の木曽を記録した『吉蘇志略』
一冊目は、『吉蘇志略(きそしりゃく)』。
松平秀雲によって宝暦7年(1757)にまとめられた、木曽各地の地理や村々の様子、寺社、産物、名勝、伝承などを記録した「地誌」です。
現代でいうなら、江戸時代の木曽の地域百科事典のようなものでしょうか。
その「原野」の項には、ある女性について驚くような記述があります。
「額に肉角を生ず」
女性の額に「肉の角」が生えたというのです……!
夫に恐れられて実家へ帰され、さらに親からも受け入れられなくなった女性は、やがて山中の池へ向かい、身を投げたと記されています。
その後、その池は雨乞いの場所になったという物語へと続いていきます。
現在伝わる七尋石の物語とは内容に違いがありますが、江戸時代中期にはすでに、原野周辺で女性の異形や蛇にまつわる不思議な伝承が記録されていたことが分かります。
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江戸時代の旅行ガイド『木曾路名所図会』
もう一冊が、文化2年(1805)に刊行された『木曽路名所図会(きそじめいしょずえ)』です。
京都方面から木曽路を経て江戸へ向かう街道沿いの寺社や旧跡、景勝地、名産、伝説などを、豊富な挿絵とともに紹介した「名所図会」。
今風にいうなら、江戸時代の旅行ガイドブックのような存在です。
木曽を紹介する巻三には、現在の日義 原野地区周辺の名所紹介として、
「野婦池(やぶいけ)」
「斬蛇潭(ざんじゃたん)」
などの項目が登場します。
ここにも、女性や大蛇にまつわる不思議な伝承が紹介されています。
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『吉蘇志略』がまとめられたのは1757年、『木曾路名所図会』が刊行されたのは1805年。
今から200年以上も前の人たちも、この地域の岩や池、山や谷を眺めながら、そこに伝わる不思議な物語に興味をひかれていたのかもしれません。

いつもの場所を、ちょっと違った目線で
普段なら何気なく通り過ぎてしまう大きな岩。
けれど、その場所に残る伝説や昔の記録を知ってから眺めてみると、少し違った景色に見えてきませんか?
少しずつ秋の気配が深まる木曽駒高原。
このシルバーウィークは秋の景色を楽しみながら、ちょっとディープな木曽の歴史を「フカボリ」して歩いてみるのはいかがでしょうか。

参考文献
・松平秀雲『吉蘇志略』(宝暦7年・1757年)
・秋里籬島 編『木曾路名所図会』(文化2年・1805年)
どちらも木曽町図書館で閲覧できます。
