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木曽について知る

霊峰・御嶽山 古の浪漫漂う中山道 あざやかな四季の移ろい
命を育む豊かな森と水 自然と共にある暮らしに息づくかけがえのない伝統文化
山を守り 山に生きる 様々な要素が木曽の文化、歴史、魅力を形成し
現在まで受け継がれています。

宿場町と歴史


木曽路は、鎌倉・室町時代までは信濃と京都・伊勢などを結ぶ重要な通路として発展してきましたが、江戸時代には、五街道の一つ中山道の街道整備とともに木曾11 宿といわれる宿場が発達しました。
寝覚ねざめの床(とこ)、桟(かけはし)、鳥居峠(とりいとうげ)から望む御嶽山など木曽谷の情景は、訪れた多くの俳人や浮世絵師などを惹きつけ、詩歌や版画となって世に知られるようになりました。
宿場は訪れる人々を迎えることによる経済的利益の他に、木曽馬や木工品など地場産品の需要をもたらす生産・販売・運輸の拠点として賑わい、木曽谷の経済を牽引してきました。

食文化


「そば」「すんき」「赤カブ」「大平(おおびら)」「ほう葉巻き」「どんぐり」「百薬」など、冠婚葬祭や御嶽信仰、季節ごとに伝えられてきた食文化が多く存在します。
木曽のオンラインショップ「KISO ORIGINAL」 はこちら

木曽の豊かな自然


西に御嶽山、東に木曽駒ケ岳、南北をつらぬく木曽川を有する豊かな自然環境。
その面積の90%以上を占める森林……江戸時代から尾張藩直轄の領地であり、厳しい森林保護制度によって保護された樹種は「木曽五木」と呼ばれ、現在も木曽谷の名産品となっています。

御嶽山と御嶽教


標高3067m、御嶽山は独立峰としては日本で2番目に高い山になります。江戸時代中期、覚明行者と普寛行者により登山道である黒沢口・王滝口が開かれると、御嶽山信仰は全国へと広がっていきました。訪れた信者の数は、登山道沿いなどに建てられた霊神碑が数万基にのぼることからもその規模の大きさが伺えます。
御嶽山と木曽路を行き来する人々によって木曽谷の流通はさらに促進されました。室町時代以来、御嶽山麓の修験者が携帯したといわれる「そば」は御嶽山麓開田の特産となり、登拝のために訪れた人々などによって、木曽谷の地場産品や薬「百草」などとともに宿場から木曽路を辿り全国に広められました。
御嶽信仰についての詳細はこちら

木曽の日本遺産

文豪島崎藤村の『夜明け前』は「木曽路はすべて山の中である」で始まります。
木曽谷の山と木曽路は、木曽谷の人々の「山を守り、山に生きる」くらしを育みました。
そのくらしは、森林の保護、木曽路や宿場の保存、伝統工芸品の伝承を大切に思う心を培い、今も木曽谷に息づいています。