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木曽義仲年表

西暦年号月日 
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1184
 
 
 
 
 
 
 
1185
久寿元
久寿二
 
保元元
平治元
永暦元
仁安元
治承元
治承三
治承四
 
 
 
 
 
 
養和元
 
 
寿永元
寿永二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元暦元
 
 
 
 
 
 
 
文治元
 
8/16
 
7/11
12/9
 
 
6
11/15
4/9
5/26
6/2
8/17
9/7
10
12/28
6/13,14
 
9/4
 
3
4/17
5/9
5/11
6/1
6/10
 
7/25
 
7/28
8/10
 
8/15
9/20
10/1
11/19
12/15
1/10
1/20
 
 
2/7
2/19
3/24
4/21
5/1
義仲(駒王丸)生まれる。
義仲の父義賢、武蔵国比企郡大蔵館で甥の源義平に討たれる。
義仲(駒王丸)木曽に逃れ、中原兼遠に養育される。
●保元の乱始まる。
●平治の乱始まる。
●源義朝殺され、源頼朝伊豆に流される。
義仲元服。
●京都・鹿ヶ原の陰謀発覚。
●平清盛クーデターを起こし、後白河法皇を閉じこめ院政を停止する。
●源頼政、以仁王から平家追討の令旨を得て、諸国の源氏に伝える。
●以仁王、源頼政、義仲の兄仲家ら敗死。
●清盛都を福原へ移す。
●源頼朝伊豆にて挙兵。
木曽義仲挙兵。
義仲、上野国に入り12月信濃に戻る。
●平重衡、東大寺、興福寺を焼く。
●平家方の城氏、越後より信濃へ攻め入る。義仲これを横田河原(長野市)に
  迎え撃って大勝する。
●平家軍、義仲の軍と越前水津に戦い、敗退して京都へ退く。 『吾妻鏡』
●この年凶作。義仲、頼朝、平氏の三勢力対峙する。
義仲、頼朝と不和となる。義仲、長子義高を人質として送り和解する。
義仲追討のため、平経正・通盛軍、北陸道へ進む。
義仲兵を進めて、越中盤若野に平軍を破る。
●越中砺波山の東に陣をとり、夜に入って平維盛の大軍を大いに破る。『平家物語』
●さらに平軍を追って加賀篠原に破る。義仲の武将手塚光盛、斎藤実盛を討つ。
義仲、越前の国府に入り、覚明に延暦寺へ牒状を書かせ僧徒を誘う。
  延暦寺、義仲の求めに応ずる。
義仲、京都に迫る。平家、安徳天皇を奉じ京都を逃れる。
●後白河法皇、一時延暦寺難を逃れる。『玉葉ほか』
義仲、行家京都へ入り、後白河法皇に拝謁。平家追討の院宣を受ける。
義仲は従五位下左馬頭兼越後守に、行家は従五位下備後守に任ぜらる。
  朝日将軍の称号を賜る。
義仲、伊予守に任ぜらる。
義仲、平氏追討のため播磨へ向かう。
義仲軍、備中水島の戦いで平軍に敗れる。
義仲、法住寺殿を攻め法皇の近臣らを解官する。
●法皇、藤原秀衡に頼朝追討の院宣を下す。『吉記』
義仲、後白河法皇より征夷大将軍に任じられる。
●源範頼・義経の軍、勢多・宇治で義仲軍を破り京都へ入る。
義仲、近江の粟津に戦死する。今井兼平、根井行親らも戦死。
  樋口兼光も京都で斬られる。
●一ノ谷の合戦。
●屋島の戦。
●壇ノ浦の戦。平家亡ぶ。
義仲の長子義高、鎌倉を脱出するが4月27日武蔵国入間河原で討たれる。『吾妻鏡』
●源頼朝、木曽義仲の妹宮菊を鎌倉に召し、美濃国遠山庄内の一村をあてがい、
  信濃の御家人小諸太郎らに扶持させる。
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