正調 木曽節
木曽のナァー なかのりさん
木曽のおんたけ ナンチャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
袷ナァー なかのりさん
袷やりたや ナンチャラホーイ
足袋そえて ヨイヨイヨイ
心ナァー なかのりさん
心細いよ ナンチャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
笠にナァー なかのりさん
笠に木の葉が ナンチャラホーイ
舞いかかる ヨイヨイヨイ
木曽のナァー なかのりさん
木曽の名木 ナンチャラホーイ
ひのきにさわら ヨイヨイヨイ
ねずにナァー なかのりさん
ねずにあすひに ナンチャラホーイ
こうやまき ヨイヨイヨイ
三里ナァー なかのりさん
三里笹山 ナンチャラホーイ
二里松林 ヨイヨイヨイ
嫁ごナァー なかのりさん
嫁ごよくきた ナンチャラホーイ
五里の道 ヨイヨイヨイ
木曽のナァー なかのりさん
木曽の山寺 ナンチャラホーイ
今鳴る鐘は ヨイヨイヨイ
昔ナァー なかのりさん
昔ながらの ナンチャラホーイ
初夜の鐘 ヨイヨイヨイ
木曽のナァー なかのりさん
木曽の名所は ナンチャラーホイ
棧寝覚 ヨイヨイヨイ
山でナァー なかのりさん
山で高いのは ナンチャラホーイ
御嶽山 ヨイヨイヨイ
踊ナァー なかのりさん
踊ましょでえ ナンチャラホーイ
踊らせましょぞ ヨイヨイヨイ
月のナァー なかのりさん
月の山端に ナンチャラホーイ
かぎるまで ヨイヨイヨイ
木曽でナァー なかのりさん
木曽で生まれた ナンチャラホーイ
なかのりさんは ヨイヨイヨイ
可愛ナァー なかのりさん
可愛がられて ナンチャラホーイ
みやこまで ヨイヨイヨイ
木曽おどり
大正7年(1918)、当時の木曽福島町長の伊東淳氏が、木曽踊りをもって福島町民をあげて盆踊りとして普及せしめようと考えてみずから率先して木曽踊り保存会を結成。
歌をととのえ、踊りも規格を正して、それの正しい伝承と普及に有志と共にはげんだ。住民はもちろん旅行者でも習得したいものがあれば指導し、学修を終えた者には「相許し候ことの木曽踊り」という免許状を発行している。
木曽節の由来について
室町時代の『狂言歌謡』に「七月がおじゃれば木曽おどりはじめて、振りようおどろうよ、とかくおどらにゃ気がうかぬ」とあり、木曽踊りは古くから都にまで知られていたという。木曽踊りは、当時木曽谷一帯の村々で踊られていたもので、数十種の民謡や踊りがあった。木曽節はその代表的なもので、盆踊り唄として広く木曽一円で歌われていた。
木曽御岳山の麓に広がる広大な森林地帯は、木曽桧に代表される良材の産地として、室町時代後期から近世にかけて、夥しい材木が伐り出されたという。
木曽節は伊勢をはじめ、全国各地から入り込んだ杣人や、川を利用して材木を流送する日傭等によっても歌われ、即興的に歌われた歌は、あるものは消え、あるものは残って、全国各地に広まっていった。さらに大正時代に福島町長になった伊東淳いとうすなおは、木曽踊り司つかさと名乗り、その振興策として免許状を発行して普及につとめた。昭和になってレコードが発売され、昭和九年八月十四日には、木曽福島から盆踊りの木曽節が、NHKのラジオの電波に乗って全国に実況放送されるに及んで、全国的によく知られるようになった。この放送を聞いた作家の林扶美子は[十四日の夜の優秀なるものは、何といっても木曽福島より中継の木曽の盆踊りで、山間にこだまする「木曽のなー」という声は涼しくて何とも言えない渋い声ぞろいで、さっと涼風を感じました。(中略)木曽節は品がいいと思いました。夏分このような中継はうれしいです。]と感想を寄せている。